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みんなの人権

認知症になっても大丈夫な社会へ

 

 先月、地元の祭りの打ち合わせが終わり、お酒が出されて皆で雑談をしていると、老後の生活の話になり、次のような言葉が出ていました。「認知症にだけはなりたくない」というものです。
 その゛~にだけはなりたくない゛という思いがどこからくるのかと考えた時に、今年2月の「第31回人権啓発研究集会」で講演された認知症の当事者である佐藤雅彦さん(日本認知症ワーキンググループ共同代表)の話を思い出しました。
 佐藤さんが伝えたい「20のメッセージ」の一つに『「二重の偏見」が私たちの力を奪う』という話がありました。『「認知症になったら何もできなくなる、何もわからなくなる」という社会の偏見は、認知症と診断された人自身にも、それを信じ込ませてしまいます』ということでした。私も認知症に対して負のイメージしかなく、不安を感じていたのは確かです。
 「自分が自分であることは何によっても失われない」「人は何ができなくとも、価値のある尊い存在である」との話もありました。認知症になっても人間としての尊厳は失われない、との話には、「○○ができる」といった有用性で他者を評価しがちな社会で生活する者にとっては、改めて人権尊重について考えさせられました。認知症になることは、地位もしがらみもない、本当の自分に出会うことかもしれません。いちばん大切なことは、今生きていること、存在そのものだということだと思います。
 話をされている佐藤さんを見ていると、「佐藤さんって、本当に認知症の当事者なの?」と思ってしまいます。そう見えるのも、暮らしの工夫を色々されている結果だということが分かってきました。携帯電話のメモ機能を活用し備忘記録をつくる。その他、タブレット端末でスケジュール管理をしたり、予定を忘れないように出かける30分前に携帯電話のアラームをセットしておくなど、様々な工夫のうえで現在があることも話されていました。そして「ちょっとした手助けがあれば、いろいろなことが楽しめる」ということも話されていました。
 「自立の反対は何ですか」と問いかけられたら、なんと答えるでしょうか。「依存」「頼ってしまう」と思いがちですが、そうではなくて「自立の反対は依存ではない。信頼できる依存先を多く持つことが、自立につながる」ということも、重要な視点だということを教えられました。支援する側も『支援する人』というよりも『いっしょに楽しむ』そんな人間関係が築ければいいな、と思います。
 認知症に対する偏見のない、本人や家族が生きやすい社会、言い換えれば「認知症になりたくない゛社会゛ではなく、認知症になっても大丈夫な゛社会゛」とはどのような゛社会゛なのか、話し合ってみませんか。



JA滋賀中央会発行『みのり』より

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