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みんなの人権

「余白」を読む

 

 2011年3月11日に発生した東日本大震災から7年の月日が流れました。新聞やテレビのニュースで、今も避難生活者が約7万人おられ、その内、仮設住宅での生活を余儀なくされている方が約2万人おられる、という“数字”を目にしながら「まだ辛い生活を送っておられる方が大勢おられるのだなあ」と、漠然と分かったような気分になっていました。
 そんなとき“数字では語れないあの日の出来事”というコンセプトで、被災地に生きる一人ひとりに出会って話を聞き、人々の思いに耳を傾け、心の声を言葉(物語)にした『リスクと生きる 死者と生きる』(石戸諭:著、亜紀書房:出版)が出版されました。
 人は、いろんな感情の中で揺れ動きながら生きています。インタビューの中で登場する米農家の遠藤さんは、原発から30キロ圏内の兼業農家で、震災後、放射性物質の線量やデータについて学び、地域の線量を測定し、線量別に落とした地図も作って米を育てました。そして、2011年に自分で作った米は検査をクリアしたものの、小さな息子には食べさせられず、米はすべて裏山に捨てた、と話しています。彼はこのことをとても悔いており、罪深いことをしたと思っています。遠藤さんは、「リスクは低いって頭では分かっているのに、子どもに食べさせようとしたときに、ふとよぎるんだよ。3年後、5年後はどうなるの? お前、責任とれるのかって」と自問自答し、悩み、葛藤して、その結果、裏山に米を捨てる行為に至ります。
 結論に至るまでの葛藤を知ることによって、遠藤さんへ「子どもに食べさせろ」とは、とても言えない思いに駆られました。
 結果に注目するだけでなく、そこに至る過程というか、結果としては「見えない」部分においても、耳を傾けることが大事ではないでしょうか。
 また、もう一つ大事なことを教えられたと思ったことは、「亡くなった娘(当時小学校6年生)への父からの手紙」のところです。著者は「インタビューでは引き出せない言葉が手紙にはある。なぜ手紙にだけ、あらわれる言葉があるのか?」という思いに対して、その後の取材で出会った若松さんという人がこんなことを言っていた、と書いています。「手紙を書くことで、あるいは書こうとすることで、逆に人は『書けない思い』を発見する。文字として書けるものが全てではない。本当に伝えたい悲しみや情愛は、言葉にならないもの、つまり余白にこそ詰まっている――。」
 そして、著者が手紙を読んで感じたのは、書いてある言葉そのものではなく、「行間」や「余白」であり、書ききれないものの大きさだったのではないか、としています。文字として表されたものの表面だけを捉えるのではなく、「書ききれないもの」「語りきれないもの」を見る努力がどれほどできているか、と私たちへの問いかけでもあるように思えます。
 震災だけでなく様々な災害に関する報道に接した時、あるいはこれに関連する情報や書籍等を読むとき、本当に
大切なものは安易に言葉にできないものだ、という思いを持って、「余白」を読む努力を怠らないようにしたいものです。

JA滋賀中央会発行『みのり』より

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